・メタボリズム再考について

レム・コールハース「(メタボリズムは)造形が独創的なだけでなく、現代建築が忘れがちな社会との関係性を提案している」

ここで言われる、「現代建築が忘れがちな社会との関係性」とは、その物質性への、建築としての回帰であろうか。メタボリズムは物質の新陳代謝を到達目標として建築に取り入れられた概念である。この再考が来年は出版、展覧会として再出発を迎えることになりそうだ。
メタボリズムの概念は建築に落とし込み、プレファブリケーションやカプセルといった物質的新陳代謝は情報化社会、高度資本主義経済と密接に結びつき、サイクルの循環を建築の時間軸に取り入れるものとして評価できる概念であると考えている。しかしそれは建築の何を目的としてものであろうか。都市の更新なのか、はたまた物質としての動的平衡状態なのか。
前提として、工業といった第二次産業の中に建築を含んだ概念であるのは確かである。つまりそこには製造業、工業などの半永続的な雇用も生まれるわけである。そこには情報化によって最適化される環境も含まれる。
しかし、建築を広義のコミュニケーションの一つの場として捉えるのであれば、第二次産業というよりも第三次産業も射程に捉えた建築というのがあってもいいのではないだろうかとも思う。そこにはプログラムとしてのサービス業の他に広告事業といったコンテンツビジネス、IT関連事業も含まれてくる。ここまでを全て統合できるからこそ建築としての意義が示されるのではないか。

同記事で北山恒氏はメタボリズム「50年後の東京は、個別の土地で民主的に建て替わり、それが集まって都市になっている。生成変化は、我々の文化の属性と考えた」と語り、住宅地や都市部などで土地が細分化され、個々が変化することと捉えている。根本的に個人資産は相続などの問題で分化することが要請される。しかしそれは土地、都市の次元での新陳代謝であり、建築が不動資産としての状況ではない。もはや今は建築家は土地のデザインを社会的には要請されているようにも見える。
一方で巨大な都市開発においても建築も主題になるが、経済効率性重視された最大公約数的な一律なプロセスを経たデザインコードでしか構成されていない。これはショッピングの状況にも似た状況である。ブランドバッグ、クロックスなど。

グローバリズムの一端をになったIT系の技術は、建築におけるモダニズムのように世界を一律のもので埋め尽くしてしまうかもしれない。マクロにみれば確かにそうだ。しかし、ミクロな視点をもってみれば双方向性のメディアというものが街を、都市を変える契機になりつつあることも窺える。これは複雑なアルゴリズムとして解釈を建築的に行える事ができれば、建築が都市に固有性を与えると言う事ができるのかもしれない。

思想地図β vol.1

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