新しい歳を迎えて

意識を改革するべきなのかもしれない。
この一年を振り返ると、来年こそは自分は変わらなければならないという観念に襲われる。
27歳という年代が一般的にどういうものなのかはわからない。だが、ここで変えなければ、これから先の人生何も変わらないのではないかという念が意識の深いところにあるのは間違いない。もしかするとそれは、単なる思い込みかもしれないし、これから毎年思うかもしれない。

社会人になって三年が経とうとしている。この三年間、ぼくはいかに自律的に生きて来れたか。学生時代の何かに対する情熱を、今でいう自分に置き換えられているか、今のぼくでは答えられはしない。
それは、生まれもった社会的未熟さから来る環境への対応能力のなさなのかもしれない。仕事上、つまり社会的に求められるものへのハードルの高さとプレッシャーに押しつぶされ、思考停止の状態で生きてきている可能性もある。思考的に自由なのは学生であれば当たり前であるのに対して、社会の中での自由というのはルールを知り、自分に対しての影響を認識し、自分の意思を提出できるかというところにある。

その自分の意思がないと始まらない。あっても世界に提出しなければ意味はない。社会人という、人生を全うするための地盤は整い、幾分かの知識と経験は基礎として自分に埋め込まれているはずだ。
また、基礎を見直す機会もあるだろう。地盤が揺れる経験もするだろう。
しかし、いつまでも地盤ばかり耕していても芽は出ないし空間も生まれない。

天を仰ぎ、風を感じる。
今こそ、変わらなければならない。