今日横浜は雨です。
でも今日はある理由で研究室に引きこもりです。そんな中、外の空気を吸いに外に出ると静けさと寒さの中にしっとりと安定した空気が流れているように感じます。
ぼくは雨が地面と衝突する音や水たまりに何かが落ちる音が好きなので雨の日の公園や道ばたが好きです。
それに雨や雪の日、街並はもやにかかったようにいつもより解像度を低くしてぼくたちの前に現れます。それは街が「どんより」して気分が昂揚しない感覚をぼくたちに与えますが、見方を変えると建物や街が少し違う表情をしているともいえるわけです。

この写真の前方右側に見えるのは「梅田スカイビル」という大阪の建物です。この建物の設計者である原広司は、「様相」という概念を設計に持ち込みました。この建物は全面ガラス張りのオフィスビルなのですが、晴れた昼間であればこのガラスには空と雲がきれいに映り込みます。つまり、無表情で固いイメージの建物ではなく、周囲の状況を反映する、といっても鏡ではなく適応する建物なわけです。
この写真ではスカイビルは上方に行くに従って霧にとけ込んでいくかのような状態になっています。ここまで原が意識していたかはわかりませんが気象により様相を変えるカメレオンのような建物ですね。
ぼくはこのような状況により姿を変える建物も好きですが、廃墟や施行段階(工事現場)の建物にもとても魅力を感じます。
廃墟と言えば昨今では流行にもなっていて解釈も多種多様、それぞれが美しさを感じていますね。ぼくが廃墟や施行段階に美しさを感じるのは、その存在の意味です。通常建物というのは人が使うために機能的に、そして都市の、街の一員としての美しさなどが追求され、結果としてみなさんにつかわれているわけです。もちろん、建物とはそのために存在しますし、それはそれでとてもいいことです。ですが、途中段階の建物というのは、何のために存在しているのでしょうか?それは建物のためです。多くの大工さんや技術者の人が建物のために働く。またはいろいろな意味で寿命が終わった建物が死に向かう。人は使わず、建物だけが建物のために存在するのです。
建物のための建物。それがぼくは建築だと思うのです。つまり、建築とはある一定の期間しか存在しない。何事も一つの目的に向かっている姿ほど美しいものはありませんよね。
みなさんも、自分の楽しみ方で建物に接してあげてください。