「各々の時間を与えることができるのが作家性じゃないか。」

これが村野藤吾についての展覧会での感想を、大学からの友人に述べた答えだった。
「言葉にできないもどかしい感じだからこそ記憶に残る。」続けて彼は言った。ぼくと彼の視点の違い、そしてモノとして、空間としての建築の力を読む能力に大きな差異があることを再確認した瞬間だった。
何もわからないまま建築を学び始め、社会と建築の間を5年経った今でもうろうろしている自分にとって、彼の言葉ほど新鮮になる言語は他にない。この根本的なモノへの理解があるからこそぼくはここから更に飛躍し、その延長として自分の将来について考えられていると言っても過言ではない。


彼はぼくと同じ大阪の大学を出てから、建築設計事務所で働いている。大学2年の時に彼と彼の作品を見てから、一度話してみたいと思っていた。しかし今の自分からは考えられないがその時は話しかけようとせず、単に仮想敵として頭の片隅にその存在があっただけだった。しかし、別の友人の紹介でぼくの所属するサークルに彼が入ってきてから、ぼくと彼はいつの間にか、そしてぼくにとっては大学内で最高の友人になっていた。彼の発する言葉にはいつも自分にはないものが深く込められていたし、ぼくのことをとてもわかってくれていた。それは今もやはり変わってない。
彼はとても繊細な感覚をもっている。それは時に弱すぎるとも思えるような繊細さだった。感覚というのはとても言葉では表しにくいものの一つだが、彼も、彼自身の感覚のことを、ぼくも、そして彼も言葉ではまだ表現しきれていない。幸か不幸かぼくとは全く違う次元でのものの見方だった。しかしぼくたちはどこか根底での世界観やビジョンを共有できていたのか、とてもうまくやって来れたと思う。課題があるたびに二人で議論したし勝手にサークル内で班を立ち上げていろいろな都市を歩き回っていた。
そんな彼に、先日見に行った村野藤吾の展覧会の感想を述べつつ、自分の「モノ」に対する疎さを学部時の感覚と交えながら話した。といってもぼくが学部のときからこれほど内省的に彼と会話をしていたわけではない。彼は一番刺激的な人物であることを認めてはいたがぼくは決して自分の弱みを他人に見せる事は好きではなかった。しかしいつからか、それだけでは不毛に終わることを悟り、意識的に自分から自分の感覚の落ち度も含めた会話を切り出すようになっていた。

それが信頼という人と人の間の根底に流れる一種の友情であるならば、こういう友人はあまりいない。自分を素直に暴露できる他人などいない、ある意味での自分の限界が彼だった。

年末の帰省と同時に会いたい友人はいくらかいたが、彼は絶対だった。設計事務所で働き、ぼくよりも一足先に社会的な経験値をもった彼に、ぼくはその経験よりもまだ建築的、さらに言うと物質的、そして彼的なものの見方に久しぶりに触れたいと考えていた。


ぼくは建築というものに対する自身の欠如を彼に学んだと自負しているが、それはまだまだ終わりそうにない。
出会った意味を確認するように、お互いの欠陥を補完するように、ぼくらは夜通し言葉を交わした。