全てのものは何かのために存在する。そこらへんのよくわからない店だって、どんなに小さな企業であっても、意味があるから、誰かがお金を払ってでも存在する意味を与えられている。
今日は新聞社の医療、科学記者に話をきいた。
医療、科学の専門的な分野の取材、記事とはいえ、全国紙であるこの新聞の読者は一般人だ。高度な専門的記事を書いても仕方がない。特に医療の面では専門的な知識ではなく、心と体を中心としたものになっている。つまり、より患者の気持ちに近い記事を提供している。
この連載には話を聞いた記者も最初は疑問があった。単なるお役立ち情報の解説記事なのではないかと。しかし記事を書きやってみるとその反響のすごさにおどろいた。手紙、メール、電話。特にメジャーでない病気についての記事は潜在的にその病気に苦しむ人の大きな助けになっている。本や専門誌では取り上げられていてもまだまだ知らない人が多く、単なる疲れだとかで片付けられていたものが周囲の人がちゃんと病気として受け入れてくれるようになるという。
このような記事を書くには医師などに聞くなどして理解しなければならない。加えて、その医者的な感覚、業界用語に慣れてしまうことなく周囲の意見を聞きながら記事は作成しなければならない。専門性には少し欠けるがわかりやすい言葉、漢字の量などにも気をつけねばどれだけいいものを書いたとしても読まれなければ意味をなさない。

どれだけ専門的で業界内で注目されているものであっても、実際に必要としている人はどこにいるかわからない。それをできる限り多くの人に伝えられるのは全国紙の大きな魅力だ。どこかに必要としている人がいる。その人と然るべき技術を繋ぐ役割を担っている。