電車に乗っていると養護学校の生徒の人たちと先生が乗ってきた。
遠足かなにかの帰りらしく、5、6人はいたかもしれない。すごく静かに立っている子、申し訳なさそうに手摺を持っている子、先生と楽しそうに話をしている子。
ある程度の存在感があるのは確かだ。でも周囲の人はそこまで気にしてる様子はなかった。


今日の新聞で、犯罪を犯し、出所した知的障害者を受け入れた施設に報酬を加算する方針が決まった、という記事があった。出所した後も経済的な問題などから再度万引きや置き引きなどの犯罪を犯すケースが発生することを防ぐ意図だという。司法と福祉をつなぐ初の本格的な取り組みであるらしいが、障害のある人を福祉の、社会の手からこぼれ落とさないようにすることには多いに賛成だ。しかし、犯罪を何もわからず犯してしまう人、反省という真摯に自分と向き合う行為をできない人に対して社会が何もせずに、福祉施設に入ればいい、とだけの考えがあるようにみえまいか。
一度犯罪を犯した人が再犯する可能性は100%だということもできないが、0%ともいえない。これは健常者でもそうだが、このことが受け入れる施設の負担になるのだろう。それを利益が出るのなら大丈夫、というのも附に落ちないが、どこかで施設でなく社会に出られるよう支援することはできないのだろうか。
刑務所は福祉施設とは違う。しかし、ここで刑務所は何のためにあるのだろうかと疑問に思った。それは刑務所独自の問題だけではなく、社会全体の問題でもあると思う。裁判など人の内省的な行為が求められるような状況で障害者の周囲の状況が浮き彫りになる。佐藤幹生氏の『自閉症裁判』で、佐藤氏は障害者の特質を理解した上で、取り調べや裁判を行うべきだということを丹念な取材を通した記録を記している。一般的な感覚で全てを判断してしまうのでなく、その人の論理を理解し、こちらからで壁を除いていくこと。それをしなければ、それに見合った罰を与えることもできない。


しかし、冒頭にぼくが感じたように、一昔前と、といってもぼくが生きたのは些細な時間に過ぎないが、今とでは少しずつ状況は変わってきているのかもしれない。
ぼくの弟は広汎性発達障害であるし、小学校、中学校と障害児学級の子どもと触れ合う機会も多かったため、身内に障害のある人がいない人より抵抗はない。小さいときは何かに熱中すると止まらなくなり、家電量販店などで一向に動いてくれず帰れないことなどしょっちゅうだったので、好きなようにし過ぎているくらいにしか思い、どうしたらわかってくれるのかその度に悩まされていた。大きな声を上げることも多かったので周りの目線が気になることはしばしばあった。でも、今となってはたった一人の弟であるし、何かしてあげられる人のうちの一人であると思うので何も苦はない。それに、昔と違い今はすぐにぼくのいうことを理解してくれるので、いっしょに散歩にいくことがとても楽しい。ぼくと弟が大人になるにつれて、いっしょに笑うことが多くなったのはお互いに成長しているということなのかもしれない。
しかし、他人に何か迷惑をかけてしまうことにはいつも恐怖感がある。そんなことには今までなったことはないが、そうなってしまったときにはどう償えばいいか、自分の責任のように考えてしまっていた時期もあるが、最終的にどうすればいいかは今でもわからない。はっきり言って一人で生きていくことができない弟は、どうしたら自立できるのか、反省するという思考をどう教えればいいのか。その答えは日々誰かが一歩ずつ、少しずつ焦らずに教えることにしかない。自閉症といっても怪物のような恐いものではない。単に少し普通とは思考の発達が遅いだけだ。記憶はできるし、新しいことを覚えられないわけではない。

そのことを理解して、無関心を装うのでなく暖かく見守ってくれるような社会になってほしいと思う。

自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」 (朝日文庫)

自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」 (朝日文庫)

週刊 東洋経済 2009年 1/31号 [雑誌]

週刊 東洋経済 2009年 1/31号 [雑誌]

テレビ、新聞全体の広告落ち込み、産経の雇用改革…マスコミ志望者には痛すぎる見出し。が読まない訳にはいかなかった。
しかし、日本理化学工業の大山泰弘氏のインタビューは、知的障害者と向き合うことで成長を見守る決して簡単ではないことをしながらも業界のトップという暖かい記事だった。