「公共の場」ってどこからどこまでなのだろう。
「公共の場でそんな恰好してはいけません」とか「公共の場でそんなことしてはいけません」なんて暗黙の了解がみんなのなかにそれぞれあるのだろうけど、その公共の場っていうのはどこにあるのか。もちろん、ここで挙げたものは道路や公園、学校とかどこでも「他人」のいるプライベートではない空間を示している。では、私企業のもつ土地は厳密には公共の場であるということになる。店でもオフィスでも誰でも入れるがそこには制限がかかる場合が多い。それを公共空間というのには少し違う。そこまで「公共空間」といってしまうのは語弊がある。

朝日新聞政治学五野井郁夫さんの記事「路上からの政治」があった。
「路上」で野宿者から会社員、学生、フリーターまでいろいろな人たちが集まって鍋を囲みながら議論をする。最近の議論ではスポーツブランドのナイキが区立宮下公園を借り受け有料化しようとしている問題。私企業が区の持ち物を占有し、企業の論理で空間を統制する。
区も財政に余裕がないのかもしれない。でも、「みんなの場所」が減り続けるというのは自由の場所がなくなる、というか今もなくなりつつある。カフェのコーヒーには「場所代」が含まれているし、それを払えば読書や書き物をしてもいいような風潮があるように、都市の場所はいまだいたいがお金に換算できる。でも、そのなかでは体操とかスケボーとかやってはいけないこともあって、それは企業側が決めること。他の店のものを食べては行けないし、ましてや住んでもいけない。
この問題が大きくなるとどこぞのマンションやオフィスといった営利目的の場所構築になるが、まずはここからの議論が必要じゃないのかな。
路上で起きていることこそ政治であって、永田町が本当の政治ではない。