ー「サマヨイザクラ」

サマヨイザクラ裁判員制度の光と闇 上 (アクションコミックス) サマヨイザクラ裁判員制度の光と闇 下 (2) (アクションコミックス) サマヨイザクラ 裁判員制度の光と闇 上下/郷田マモラ 双葉社

法律の知識のない一般市民が補充裁判員2名を含め計8名選定され、刑事事件の判決に関わる裁判員制度。09(H21)年5月21日にスタートする。
タイトルにもあるように、現段階で想定できる裁判員制度に潜む光と闇を一般市民の選定からその判決までの過程を一つのストーリーとして描き起こしたものだ。法律的情報の固くわかりにくい言語が並ぶため、一般的な漫画よりも少し読みにくいが、じわじわとくる絵の不気味さと、当事者たちの悩みをすくいあげストーリーに参加させる全体の流れは、漫画という表現が人間感情の描写と学術的、社会的に難解とされているものの混乱の解説にうってつけであることも感じられる。
3名の主婦を殺害したとみられる28歳の青年の裁判を巡る裁判員たちの葛藤が中心に描かれる。裁判員を選定する上での死刑に対してどう思っているかなど感情に流されるということを事前に排除できるところはするといったことから死刑存廃に対しても考えさせられる。一般市民が裁判に参加し、人の命を決めるということ、そこに至ったとしても感情に流される裁判などはあってはならず、ただ混乱し不安定な判決を助長するだけだということが大きく描かれる。人にはそれそれ事情と私情がありそれらとリンクして被告に感情が移るということはありうる。
そのとき選ばれた人によって判決が左右される裁判員制度の「闇」。ならばそれに市民が参加する意味はどこにあるのか。その裁判員制度の「光」は、法に参加するという意志や決意、参加してからの迷いを体験するということにある。最高裁判所HPの説明にも、『国民のみなさんが刑事裁判に参加することにより,裁判が身近で分かりやすいものとなり,司法に対する国民のみなさんの信頼の向上につながることが期待されています。国民が裁判に参加する制度は,アメリカ,イギリス,フランス,ドイツ,イタリア等でも行われています。』とある。最終的には物語では裁判員の一人の存在が被告の冤罪につながるのだが、このような偶然ともいえる画期的な終末のなかの検察の調べ不足の指摘を期待しているだけでなく、ひと一人の人生に対峙することで個人の責任を考えさせるきっかけにもなっている。
そして個人の私情にふれ、その背景にあらわれる集団の悪と個人の悪、ひきこもりなど社会との断絶をする若者など社会問題の提起にもなっている。つまり、この裁判員制度のポジティブな意味での意義は、個人に還元され、社会的にはどこまで意味があるのかはまだ不明な点が多く、不明瞭な制度であるということもできる。