1995年以後~次世代建築家の語る建築 1995年以後―次世代建築家の語る現代の都市と建築/藤村龍至、TEAM ROUNDABOUT編著 エクスナレッジ

あとがきにある、32組の作家像を提示すること、これはこの本のもつ大きな価値の一つである。しかし、これがもし、どこからか現れたフリーのジャーナリストによるインタビュー集であれば、という注釈がつく。
というのも、ジャーナリストという仕事は基本的には中立を保つ努力をその個人自身の「良識」をもって担保する。その良識は正論とも言い換えられる。利害や個人的欲求などを排除した、社会貢献の本来的な意味を全うする職能であるとも言える。主なインタビュアーである藤村氏は明確「すぎるほどの」問題意識をもち、それぞれのインタビュイーに作家像の提示よりもその問題意識の確認作業を求めているとも言える。そのなかでも数回のインタビューには作家像なるスタンス、方法論よりも以前の議論である建築業界を含む社会に何が必要かを探る議論まで発展したものがある。
まず一つが、「建築の職能拡大」である。これは日建設計の勝矢氏のインタビューで浮上した議論だ。勝矢氏は初期条件の可能性を最大限に拡大を創造性によりドライブさせる必要があると指摘する。そのドライブの先は勝矢氏の乃村工藝社本社ビルの場合、企業のブランディングである。アルゴリズムを用いつつ恣意的な意図を加えることによりクライアントの要望に応える、大きな流れを汲んだ解答ではなく真っ当に目の前の人を満足させるためにすべてを用いた現代的なマーケティング理論の実践である。この場合は企業のブランディングという目的を果たしたがそれは状況によって異なり、何を求めるかはそのときの判断による。つまり、建築家の職能拡大として「創造性をもった」建築、空間的コンテンツのプロデュース、維持管理などを行うビジョンを提示する。一部産業化した業種であることは周知の通りであろうが、利害だけで物事を判断しないという意味でまちづくりや創造都市という言葉が意味をもつ現状では、十分に今後の建築家像を示唆するものと言える。
構造家の満田衛資氏へのインタビューは勝矢氏のインタビューとは全く逆方向へシフトした。満田氏は経済行為である建築投資をする以前に「社会に必要なのか」という議論がほとんどないと指摘する。自由資本主義という前提で利益のために都市を蝕むだけの社会になってしまっている。本来生活の場であり、誰のものでもないはずの地域すら利益の生け贄になっている時代である。地域の意志は都市には表れることはない。土地の権利をもつ主体が求めることと社会に必要とされることは必ずしも符合しない。容積率や総合設計制度などの都市計画法の法規的な制約や配慮はあるものの土地に何が必要かという根本までの思考までは至らない。さらに教育の強化による個々の創作性向上の必要性。教育と法規の強化によらなければ利益追求型社会における建築、都市的クオリティの向上は期待できない。ここで藤村氏と満田氏の問題意識が社会というレベルで一致した。
この二つのインタビューは、藤村氏らによる批判的工学主義の次元での議論である。既に氏のブログでも確認できるように、創造性の枠組を提唱した超線型プロセス論はこれらの議論の数歩前を行く作家論の次元に近いものだ。個々の作家論には中村拓志をはじめOMA、MVRDVの意志と似たスタンスをもつものもある。つまり、立場を見極め、すでに批評的に実践している建築家の論理である。
しかしここでは私が藤村氏に注目した理由である個人、組織関係なく「建築家の職能」を枠組みのレベルで議論したものに触れた。個人、組織レベルの方法論はとてもではないがこの本だけでは語り尽くせないし、私はこの本の本質的な価値を藤村氏の問題意識に対して各々がどういう姿勢をもっているかを語るものであると解釈しているからだ。その姿勢は多種多様であるため別の機会に譲りたい。しかし、議論するだけが目的では何も変わらない。もちろん、この本の出版自体は藤村氏にとって過程でしかない。藤村氏がインタビューした建築関係者はもとより、個人個人が意志をもちつづけることが社会を変え、それが建築、都市を変えることを強く望む。