談山神社


舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていた。この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えており、たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会があったときに聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができた。西暦645年の5月、二人は多武峰の山中に登って、「大化改新」の談合を行った。後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなったという。
本流のJR線から2、3両の電車にのって、JR桜井駅からバスで30分。
いまとなっては都市のなかの隠れ家的なところで時代を変える小さな試みの打ち合わせは行われる。しかし、都会から離れた非日常的な場所でのイベントでふとしたきっかけが生まれ、それが大きく動かすことはよくあることのように思う。千光寺と同様、山奥に行く過程、そして無駄を排した環境で最適化された状態を人がつくりだすのはいまも昔もかわらずある。もしかすると、ここで歌っていた若者の集団はのちに有名になるのかもしれない。

長谷寺





近鉄大阪線長谷寺駅から少し歩いて、京都の清水のように商店がたくさんくっついた坂を登ると、真言宗豊山派の総本山である長谷寺がある。。談山神社もそうであったが、山の斜面に7、8の建築物がくっつき、それが回廊などで接続されている。いまの時期は長谷寺の名物でもある牡丹が咲き、道や回廊から眺めに色とりどりの景色を見せる。