第3回自主ゼミ。
今日の発表は台湾人留学生OくんとM1Fくんの発表。
沖縄より南に位置する台湾での大学生活を発表してくれた。横浜にきたときから精力的に調査に参加するだけあって、以前の活動からも建築から生活、歴史を見つめるということに興味があったようだ。
大学3年のときに行った調査の舞台は台湾本島の南東に位置する蘭嶼(ランショ)島。
台湾は中国、日本の影響によってかなり複雑な過去をもつ。この島でも年代によって話せる言語が違うというコミュニケーションの限界が問題になっているという。
台湾の先住民であるタオ族の住居は、沖縄と似た風土ということということもあり、石垣を周囲に巡らせたものだ。少し違いがあるのは、生活における住居群のなかでリビングなどの入る住居だけは穴を掘って高さを地面より低くしているところだ。他の倉庫など生活の備品を保存する施設は簡易なつくりであり、周囲の地面の上に建てられている。これは「家」というものが神聖化されていることを意味する。いまとは違い、生活の中心として建築が認識されていたという、世界で一般的な事柄だ。
そして住居には装飾をつけないという伝統がある。
文字という文化がないこの島では、「アニト」という言葉を発することが禁じられている。そこでは文字による文章という概念が存在しないため、いまでいう単語一つの力が圧倒的であったのだ。
しかし、現代の都市開発によりこの地も全世界共通の問題が発生している。文明と文化。相容れない両者の難解な問題は、土地の尊厳だけでなく、その開発を行う中国人などとの間の差別にも発展。もとから住んでいた先住民が差別されるという転倒も起こっている。
次に発表してくれたのがFくん。
結構研究室にいるにもかかわらずその内面は未知であったが、今日の発表で少し何を考えているかはわかった気がする。
発表してくれた内容は「闇」。
闇を求める人間の性質、「陰影礼賛」での器など物や空間に対しての闇の美学。古代から読まれる闇という美は、日本人の遺伝子に組み込まれている。
一方で、現代の闇の認識は文明という強度で変わりつつある。典型例が一日中光度の変わらない都会である。しかし、この圧倒的光量のコントラストは逆に暗闇、すなわち通り魔などの横行する空間を生み出してしまう極度に暴力的な行為になってしまっているのである。
また、闇を意図的に使用することによってコミュニケーションの媒介として利用する例もある。都会が光で地をつくり裏側に図として暗闇を生み出すのと反対に、映画館やクラブハウスなどは暗闇が地、光が図となる。このような空間では人は視覚を失い、他人との距離を感じることなく個人的境界は制限を広げる。
このような光を主体とする建築空間をFくんは「ハコ」と呼ぶ。これを解体し、闇を計画にいれることをコンセプトに卒業設計にかかったという。
さらにこの理論は大学院生活で発展させているらしい。
その第一歩が西洋と東洋、特に日本の表裏の認識の違いである。
西洋の表裏はトポロジカルな方向性が絶対的に規定されているのに対して、日本の都市空間においては裏のなかに表裏を内包する。つまり、表通りから裏通りに入った瞬間に裏通りの認識は表通りになる。これは構造的に求心性の強い都市空間ではなくそれぞれの道が並列的に相対化して認識されているからだろう。
具体例として彼はモンサン・ミッシェル、九龍城、ヒルサイドテラスを挙げる。それぞれ共通して竣工した建築でその建築が終わるのでなく、計画者、住民問わず増築が重ねられている。そこには浮遊した奥行があるのだという。

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