バイト後、編集者と先輩とちょいと飲みに。

特に話すこともなくなんやかんや「社会」の話になる。
私は「工事現場で旗をふっている人」について、建設という大きな社会的労働をつくる建築をいるかいらないかということを決定するということをジレンマだと感じてしまうことがある。そのことをぼそっと言うと君は政治家になるつもりか、と。
社会(=自分以上の関係)には二種類あり、俗にいうマスと身の回りの人との関係、どちらを考えるのかという質問に聞こえた。大きなことを考えるのは政治家の仕事であるというように。確かに職としてはどれを考えるかが社会的な立場を決定し、自分の社会的立場を規定するように思える。しかし私はそんなつもりはない、でもどちらのことも考えるべきであると思う、と答えた。
話自体はここらへんで終わってしまったが、ある意味で私の中途半端さが露呈した言葉であったように感じる。どちらを取るか、ということはよくあることだ。社会の役割というのはそのためにあるようなものだが、私がずっと悩んでいたのはこのことだったようにも思う。
これが自分に対する甘さなのか、それとも自分の質なのか。それはわからないがジェネラリストのスペシャリストを追求することはずっと自分の中にあったように思う。