村野藤吾」というワードで論文を検索していると、「建築ジャーナル2003年1月号」に当たった。特集は「地域主義のかたち 本当によい建築とは何か?」である。
「環境」をひとつのキーワードとして、環境という言葉がうまれた20世紀後半以降の建築の再評価特集である。それは建築とは地域主義であるべきという視点に立ったもので、「建築ジャーナル」の雑誌としてのイデオロギーであるともいえる。それが竣工後どういう形で存在しているかを評者、そして使う人を代表して当時のクライアント、またはクライアントの意志を継承している人が多角的に検証する特集であった。
この特集であがっている作品はどれも地域に根ざしている。その「根ざす」とは一体どういうことなのか。いまだからこそ語ることができ、成功といえる公共建築を見つめる。
弘前市斎場/前川國男
建築関係者以外の者によって支えられ、いまでも市民グループによって愛されている。前川の母の生地である弘前に多くの公共建築を残した。その地域と密接な関係を持った前川だからこそ、地域の人の「死」を受け入れられる建築がつくりえたのかもしれない。
「神奈川県立美術館/坂倉準三」
当時の材料調達の困難さを乗り越え、世界で3番目の近代美術館を建てるという壮大な志を実現した。住宅を建てることで精一杯だった戦後間もない時期に少ない材料と大きな意志を見せた坂倉と周囲の人、戦災から復興するそのエネルギーを十分に証明する建築である。
「三州足助屋敷/浦辺鎮太郎」
単なる博物館ではなく「動態保存」と称して市民に公開しながら手仕事の製作・販売、伝統継承、観光、労働の場確保するという社会的バランスをもち地域再生に大きく加担した。1980年代、地域が疲弊してきた時代に、足助町産業観光係長だった小澤氏の町を思い、「労働の場」という人生を生きる上で大切な事柄を、失速していたものづくり職人とともにつくりあげた。そしてこの建築のメンテナンス費を地域の人たちが捻出する努力を行っていることこそ、建築が町のシンボルとして、地域の人びとのなかに生きている証拠である。


ここではまだ「環境」というキーワードが社会的に未知だったからか、単に環境負荷やエネルギーの視点だけでなく、土地、地域への接続として多様な意見が掲載されている。