かわりつつある大阪という都市で、かわらないものを見つけた。
自分が18才であったことを懐かしく思ってしまうところまできてしまっているのだなと感じる。18才というなんでも新鮮だった時期に出会ったことは、いまはもう遠い過去であり、そこには壁ではなく遠い次元の狭間が存在する。一瞬一瞬の時間は本当にかけがえのないものだった。過ぎ去った時間というのは本当にどうにもできない。
梅田をぶらぶらしていると、初めてバイトしたところでの先輩を見かけた。というかすれ違ったのだが、向こうは全く気づかず、私もすれ違ってから少ししてから思い出した程度だったが、あとで確認してみるとやはりそうだった、という話。もう4、5年も前の知り合いだ。バイトをしていたときは熱心に話したりしていたが、それ以降は全く連絡はとらず。しかし、その人のオーラというか持っているものは何も変わっていなかったように思う。凛として、まっすぐに何かを見つめるような一本通った人。後で聞いても私のほうには全く気づかなかったというのには、自分でも驚いた。これをただ雰囲気が変わったと片付けてもいいのかもしれない。しかし、私には、いやぼくにはそれが「人として」根本的な新陳代謝をしてしまったかのようにも感じられた。自分の根っこすらも相対化し、入れ替わってしまう。だからこそぼくには、普遍的なものは魅力的に映るのかもしれない。自分は消費し、消費される人間だから。
夜は古民家ワークショップのときにお世話になった建築家のAさんの現場にお邪魔する。心斎橋のペントハウスの改修工事を大工のようにセルフビルドしている。ビル自体は小さい方だが、周囲のビルと道路上のヴォイドで、屋上空間の魅力はかなりある。ふだんは地上レベルでしかものを考えないかもしれないが、屋上は偶然の産物にしては出来すぎた魅力を秘めている。
その後、数人でメキシコ料理を食す。『エルパンチョ』というお店。コロナビールを飲みながら、本場のメキシカン。普段味わうことのない個性的なスパイスがおいしかった。
ガチャガチャしたなんともいえない空間で、昔話やらなにやら。同学年で今は大阪の工務店に勤めているTは、相変わらずの笑顔とテンションを振りまく。これはもう才能としかいいようがない。何をしても周囲に幸福を振りまいてしまうのは、私には一生真似できない。自分の周りにこんなにもすごい人がいるなんて、もう、忘れていた。自分の人生は、いつまでブラックホールしか見えない、盲目の世界のままなんだろうか。
濱野氏のエヴァ論考を読むと整理された感じがして、なんか、すっきりした。