ある建築写真家と編集者と話す.
竹中工務店が行っているネパールの学校をつくるプロジェクトに進展があったようで,行って来たようだ.
ネパールのことは本にも出ているが,バスの中で出産しそうな女性が医者といっしょに山奥で降りた話や,川で火葬をしている話,そして増築された学校,元気な子どもたちの話など興味深い話を聞けた.
少し真面目過ぎる編集者は,写真家に向かって「趣味と仕事がごっちゃになっている」ことを若干非難.確かに,仕事でいった先で会社からは休みをもらって自分で写真を撮ったりしていたということに引っかかったようだ.案の定,写真家も反論,やることはきちんとやっている,と.しかし編集者は仕事は仕事,きちんと区切らないと,という.
かなり典型的な仕事の人だな,と思った.私個人はどうかというと,もちろん,編集者のいうことも大切なことだが,写真家の方のスタンスを取りたいと思っている.仕事をする前からこんなことをいうと仕事をなめるな,と言われそうだが,それだけでは疲れるばかりで雇っている方も不利益になることがあるのではないだろうか.前提として,仕事はできなければならない.それはわかっている.しかし,それだけに捕われていては視野は狭くなるし,人生もつまらないものになるのではないだろうか.だからと言って「じゃあ好きなものを仕事に」という話ではない.それでは対象とする人の満足だけで終わってしまい,自分に還元されないのではないか.好きなことをやってるからいい,という自己満足=利益になることという図式は絶対にどこかで齟齬が発生する.いつでも自分と合う人としか仕事をしないようになると,極端にニーズが減るばかりか,自分にない新しい可能性と出会うことは少なくなる.就職を決めた時点で,好きなことがわかった時点で人間が完成する訳ではないはずだ.そこから次の段階にいくためにも,その場所で結果を出して次の場所を構築するためにも,自分の到達目標を常に仕事以上に掲げることが必要になると思う.ここには当たり前の前提として仕事は完璧にできることが要求される.その上,内省行為と同時に仕事で必要な視野以上の視野が必要になるが.