・研究室→ギャラ間→ミッドタウン=修論→隈研吾展→長尾真×濱野智史

今日の講演もツイートは誰かに任せ(善悪はわからん),ひたすらMacBookに書く.まだ思考の余裕があるわけでもなく,今日のは門外漢だったため一次情報提供になってしまったが,講演中の講演者の言葉を引用として頭に焼き付けることはできているように思う.まぁ,慣れだろう.
ツイートの方はトゥギャッターにまとめればいいが,ハッシュタグはコメントが断片的すぎる上,ツイートが重複,関係ないものまで入り込み,ノイズが多いので,主観が入り込む誤解はありながらも,文脈を定義つけることに意味があるように思う.少しやり過ぎなのか,「”リアルタイムテープ起こし”的なログ」とされてしまっていたが,「情報を共有すること」と「自分の意見を述べる」ことは共犯関係にあるべきであり,それが成立していないと論として成立しない,単なる欠陥のある断片的主観として始末されるのだと思う.私のブログは建築系以外の方も見て下さっているし,ウェブはもはや社会にとって欠かせないものになっている以上,わざわざ説明することは時間の無駄であるため,そこそこにやっていかないと共感は得られない.
それに,はっきりいうと「こういっていたのがおもしろかった」「こう考える」と言われても,結局前提のシンポジウムなどの「土壌」を共有していない限り伝達は不可能である.ブログなど自己満足でいいとか,共感できる人を探す,というのも最もな反論である.しかし,私はそれは近代的すぎるのではないか,とも思う.「個人的に」そうしたい,と思っているだけ,と受け止めてもらって結構である.