北仲スクール公開講座サブカルニッポンのアーキテクチャ」vol.3
「イケメンは好き?それとも怖い? 腐女子vsリア充 コンテンツと歴史における男性観の変容」 講師:杉浦由美子 @ヨコハマ・クリエイティブ・シティ・センター

以下,レクチャーのレポであるが、後半の対談は記録されていない。
レクチャー終了後は学生の代表と教授を含めた対談であったが、何か、入り込めない議論であった。「イケメン」だとかそうでないとか。社会現象としての「イケメン」というものに劣等感があるようだが、対談の中で女の子が言っていた、「イケメン」は自分が自分をどう思うかという自意識の問題であるとぼくも思うし,それをここで公開して話していることにかなり違和感があった。そんなことはどぶに捨てろ,と言ったらそんな簡単なことではないと言われそうだが,社会が変わるのを待ったり、選択権を持っている女性に対して確認をしたとしてもそこには意味がないように思える.もしこの対談がそれ以上の意味があるのだとすればそれは自分の教養のなさである。
そういう理由で、ぼくは全く感情移入することもできず、学術的に何の意味があったのか、あまりよくわからないというのが正直な感想である。おそらく、タイトルに腐女子という言葉を使いながらもレクチャーの中では説明がなかったり、新刊に対する書評でも腐女子への愛がないと批判されているのにも、こういった意味があるのではないだろうか。

まず、杉浦由美子氏の75分間のレクチャー。「101人の腐女子とイケメン王子」などの書籍を刊行している人物だ。「腐女子」という言葉を生んだ張本人であるという紹介もあった。雑誌、単行本ライターであり、取材,ルポなどを中心とした仕事を行っている。

「イケメンブームとメディア」と題目を設定し,プレゼンテーションが始まった.「イケメン」がメディアジャックをした「花ざかりの君たちへ〜イケメンパラダイス〜」「ごくせん」「花より男子」は俳優のカタログ的楽しみ方であり、家族で見れることにより視聴率が上がる。また、DVDが売れる。たとえ女子高生が買えなくても母親などのスポンサーがつくなどの利点がある。俳優の好みを言い合うだけの会話が生まれるだけだが、何回見ても楽しいものである。テレビの広告収入からDVDパッケージへの転換も見える。深夜のアニメも広告は微々たるものでDVD収入が目的である。一万セットで元がとれるという。
イケメンブームはメディアがつくったモードというよりも、メディアはあまりやりたくないものだという。ファッション雑誌「an・an」のsex特集は一番売れるらしいが、女性ファッション誌の表紙などに「イケメン」が入ってきていることが特徴にある。「婦人公論」でも新年号で氷川きよしなどが挙げられたが、モデル、女優に憧れてコスメや服などの購入に至らなければとビジネスにならない中で、作り手は「イケメン」を使うことはしたくない。つまりその理由は、広告収入中心のビジネスモデルにある。某大手出版社を例にとると、1号につきの広告収入は7千万広告収入がないと、赤字になるという。「CanCam」を620円という安さで売って、そのマイナスを広告でまかなわなければならない。全面カラーで、写真が載っている1ページには何十万の経費がかかる。モデル、ライター、カメラマンなどである。

しかし、なぜ「イケメン」が使用されるようになったのだろうか。それは「エビちゃん」が表紙だと,「エビちゃん」になりたい人は買うが、反発する人もいて、買わない、という選択肢も出る。人気のマイナスな女優を表紙にした場合,全く売れなかったこともあるという。それに対して、「イケメン」だと抵抗がなくなり、特集がよければよい。加えて、ファンなら買うだけである。

ドラマにおいてもヒロインに感情移入させ、そこに入ってくるコスメなどを買ってもらうというモデルだったのが、女の子の成長物語である相武紗季速水もこみち出演の「絶対彼氏」の初回視聴率は13%だったのに対して、同じ時期の仲間由紀恵、他「イケメン」の揃う「ごくせん」が初回26%と、メディアがつくったトレンドではなく、視聴者の選択という形になっているのである。

最近であると,小泉進次郎の演説がワイドショーで延々と流れる。一人の政治家をやっていいのかと思いながらついつい見てしまう、と氏はいう。女性が選挙圏をもっていないときにはありえないが、小泉氏と巡る見学ツアーは100倍の倍率があり、当初の予定だった小池百合子よりも商品価値があるとして、次の回も小泉氏、というようになったという。

政治が安定しているときは、コネで政治が動く。戦争がない時代には力は強くなくてもよいという風潮があり、「イケメン」である重要性も存在することが、歴史的にも見られる。
プロジェクターで映し出されたのは平安時代の絵巻である。登場人物の背景などは細かく描写されているが、顔はのっぺりしている。 光源氏は美しいとされているが、顔を描く文化がなかったのだという。当時は外戚政治で、財産は母から娘へといく。女性の地位が貴族階級では高かった。光源氏のモデルの藤原道長はなぜ出世したかというと、いい家に婿にいったからである。姑の藤原穆子が藤原道長が好青年で「イケメン」だったから結婚させたのである。文学サロンをつくっており、そこまでの地位が藤原穆子にはあったのである。

次に,武士の時代の到来し、戦争に強い男性が注目される。山本勘助という不細工の代名詞、「天地人」の直江兼続など。

江戸時代は「イケメン」と大奥が出現する。初期武断政治という乱暴な政治の中で,5代目の綱吉以降、文治政治を行い、政権は安定する。ここでは、強さよりも徳川家と大名の主従関係が重要であり、血を絶やさないこと、つまり大奥が重要になる。柳沢吉保は女性が好きで、「イケメン」であった。女性関係が派手で、江戸時代の光源氏とも言われる。出世したのは大奥を力につけたからだという。

そして、絵島生島事件から、変容が起こる。7代目の家継は4歳で将軍となった。つまり、母の月光院の力を強くなる。絵島は月光院の側近であり、 歌舞伎役者の生島新五郎を買って遊び,門限を破ったとして大奥の御年寄という人物にはめられて権力的に衰退した。このはめられた、というのは絵島は遅くなることを最初から自覚していて、そのことを伝えていたからである。歌舞伎は今の「ジャニーズ」であり、小説の里見八犬伝などでも表紙に歌舞伎役者を使って売っていたという現代と同じ手法が用いられていた。
二代目團十郎助六を演じていたが、比叡山の僧兵として尺八を武器として利用していたのを、事件後は楽器として用いた.つまり、「ジャニーズ」系へと変化したと氏はいう。

次に例として登場したのが大奥のアイドル、田沼意次。潔癖の松平忠信と対立していた。政治家として優れており、大変新しいもの好きだったという。重商主義、つまり百姓から年貢を取り立てるというビジネスが不成立になって、ビジネスをさせて税金をとるシステムをしようとし、遊郭からの税金を取ろうとした。しかし、潔癖性である松平忠信が反発された。なぜここまで田沼が出世したかというと、13歳で8代目吉宗に認められ,15歳で9代目家重の小姓に抜擢された。そして30代目で大奥に入ることになった。本来大奥は男子禁制であるが、節分だけ男性が入ることが許された。そのとき行った豆まきに女性がうっとりしていたという。しかし、女性に対して極めて淡白で、発明家平賀源内や思想家の工藤平助などを支援をしていたという。出世の裏には大奥からの支援があり、その真面目さ,そして女性にだらしなくないところが評価されていたという。

幕末は桂小五郎が「イケメン」としての代表である。初めてプロマイドが作られたという。

女性は経済戦争の時代,工業化の時代,江戸時代は内職などで稼ぐことができるので発言権があった。しかし戦後は専業主婦と経済戦士の構図が成立し、そこでは女性は発言権が弱くなる。戦後の男性スターとして、石原裕次郎をはじめ1980年代の「ビーバップハイスクール」の仲村トオル、吉川晃司、近藤真彦のやんちゃで「男っぽい」感じが当時の流行になる。そのころもオタク的スターがいなかったわけではない。「美少年」スターとして中川翔子の父である中川勝彦や本田靖章がいた。しかし、80年代までは気持悪いと言われるマイナーな存在であった。

バブル崩壊後、86年の男女雇用機会均等法施行、91年のバブル崩壊SMAPがデビュー、93年のドラマ「あすなろ白書」で木村拓哉がブレイクした。シャネルかどこかの人の話によると、女性はバブル世代までハンドバックを買ってもらう風潮だったのがバブル崩壊以降、自力で買い、好きなものを消費するようになる。つまり、男性に経済的に頼るモデルが崩壊し、好きなものを選び、木村拓哉のような「美少年」がスターとなったのである。

2000年前後からイケメンという言葉が雑誌などで多く使われ始める。
ここで氏は、格差婚と言われた陣内智則藤原紀香の結婚と憧れの結婚と言われる水嶋ヒロ絢香の結婚を比較し、実は後者の方が格差であるという。前者は単なる非イケメンであり、後者は若手売り出し中の俳優とミリオンセラーの女性歌手だからである。
週刊文春」に掲載されたヒルズ族若い女社長が水嶋に生活費としての金銭を渡していたが、絢香と付き合い出すと電話には出なくなったという記事が掲載されたが,世間では全く話題にならない。また、「CanCam」の憧れの女性が絢香であり、男性に守られるという戦後は終わったのだなと感じた、と氏はいう。戦後の生活モデルは崩壊、自分で稼いで「イケメン」を得るというのが女性の憧れであり、「イケメン」なら格差婚とは言われないのである。

一方でイケメンが怖いという女性もいるという。氏の自主リサーチによると怖いと思っている女性が約3割、前回のこの公開講座時のアンケートでは、イケメン好きが50% 苦手、怖い、嫌いが50%だったという。女性の地位が高いから「イケメン」が台頭しているのに、怖いとはどういうことなのだろうか。
怖いと答えた女性が理由として挙げたのは,器用に要領よく生きているように見える、高飛車、威張っている、優しくない、どうせ手が届かないということであるという。
その「イケメン」が怖いという人たちはどういう人たちなのだろうか。
バブル世代は男女、団塊ジュニア団塊世代vs氷河期世代、バブル世代vs団塊ジュニアという二項対立があった。現代はリア充と呼ばれる、リアルで充実している人たち、つまり希望した通りの就職決定、恋人がいる人たちと腐女子の対立がある。しかし、携帯市場における恋愛シミュレーションゲームは非オタの女性がやっているという結果がでていることから、リアルで恋愛してないのではないかと氏は推察する。女子の半分は彼氏がおらず、社会人になると3割に減る。つまり、リア充ではないのである。また、就職戦線は今でも売り手市場だが、ほとんどは希望通りにはできず、リア充ではない。2000年半ばに景気が良くなった時に一般職採用が復活したが、もう景気がよくなることはないため、一般職採用というのは少なくなるはずである.

ではリア充とは何なのか.仮想敵ではないのか、と氏はいう。リア充はリアル社会での強者であり、「イケメン」好きというのは性的な強者をストレートに好きと言えることであり、「イケメン」が怖いというのは社会的強者に対しての劣等感であり性的な強者を好きということへの恥じらいである。

マジョリティの女性の欲望としての「イケメン」ブームは、リア充vs腐女子という恥じらいがないほうが社会的に優位であるという構図であり、自意識の格差である、という結果を導き,講演は終了した。