・人生における学術

最近、あまりブログを書かなくなった。学生のときは毎日書いていたものの、やはり普通の社会人生活にはネタがない。というのもおそらく、ぼく自身の問題であって、小さな事を拾い上げられていないということなのだろうけど、何かあってもツイッターで処理してしまう感もある。
ツイッターの出現とブログというものを考えるとやはり日常の細かなことはツイッター、そのまとめのようなことやその延長上にある記述はブログ、ということになる。こんな話は前にもしたかもしれないが、ブログというのはツイッターで書くような具体性をもった事柄を抽象的に認識し直したり、以前であればやっていた抽象的思考の場となる。ツイッターが現れたと言え、ブログの内容はまだまだ以前のようにはいっていない。ある意味これは危機だ。先日の記事で抽象的思考は必要ないようなことを書いたが、それは仕事の上でのことであって、全くないと前に進むための目標まで失ってしまう。なにより脳のしわが増えない気がする。少し学術的な本も切り替えながら読んでいかなければ。

ということで今日は本を読んだ。再読だが、「知恵の樹」を。都市記述の方法としてのオートポイエシスは、いつになったら理解できるのだろうか。。

知恵の樹―生きている世界はどのようにして生まれるのか (ちくま学芸文庫)

知恵の樹―生きている世界はどのようにして生まれるのか (ちくま学芸文庫)