・最大化される環境

資本主義は人間を最大化させる、ということを実感している。
社会人になって早3ヶ月半、最初の3ヶ月はルーティンに近い研修兼実践だったものの、7月からは実践そのもの。どこも気を抜くことが許されない。「新人だから」という理由で努力を怠れば、それは何倍にもなって将来に影響を及ぼすだろう。逃げることも、避けることもできない。たとえそうしても後からやらなければならない状況が来るだけだ。それならば、全てやれることは今やろうではないか。
要求されるタスクは、他の先輩に比べれば少ない。6時に帰らなければならない、という制約があるが、まだ6時に終わらせる事ができる仕事内容だ、ということだろう。プレゼン準備にしても、一度やってしまえばできてしまうものだ。
しかし、やはり6時までに顧客から要請のあったことを片付ける、というのは難しくなってきた。次の日の準備もある。自分にとって新しい仕事が来たときほど、それは難しくなる。例えば今日はグループ会社に査定を申し込み、別会社に関連の依頼をする仕事など、帰ってきて上司にその仕事をもらってきたことを伝えるや否や、そこからその仕事に拘束、日報もへったくれもない。新しいことは仕方ない、そう思う。しかし、それでルーティンの仕事が圧迫されると、リズムが崩れる。
自分が最大化されるという環境に、ぼくは人生に充実を享受している。仕事をしだすと帰りたくなくなるし、もっといろいろな人に会いにいきたい。何よりも、ハイテンションに分泌する脳内アドレナリンが止まらない。ふとこんなことを書くと、人生をものすごいスピードで消費しているとも感じる。これをみんなが仕事として他人のためにしているのだから、世界も速くなるに決まっている。この最大化を人が逃れるためには、母数を減らすしかない。攻めることが守りになっているのだから。できるうちは、この環境でハイスピードにやればいいと思う。もしかしたら、そのスピードよりももっと自分に必要で、その仕事を必要とする人もでてくるかもしれないけど。そこは今は考えない。考えても仕方ない。
執筆脳を少しならしたところで,今日締め切りの原稿を仕上げます。