・投資は社会にコミットする手段

不動産投資っていう枠組みがなんとなくわかってきた。証券投資も勉強して、2、3年で証券投資を、10年後くらいには不動産投資を仕掛けていきたい。
巷に氾濫する投資系のハウツー本は、金を稼ぐため、老後の生活費確保のための手段として投資が紹介されている。学生の自分であれば全く見向きもしなかったが、建築を取り巻く社会構造の認識が深くなればなるほど、自分の生きる目的が何であるか考えれば考えるほど、この方法で社会にコミットする意味が明確になってきた。
マーケットのリテラシーによって収益物件を利用することはいくらでも可能だ。タイミングと自己資本さえ気をつければ。といってもここが一番重要で煩雑なのだが、ここではまだそこまで考えることではない。
ぼくの最終的な目的は何で、今何をするべきかということをぐだぐだとここには書いてきているのだが、前述もしたかもしれだけれど、やはり「建築」なのだ。多くの建築人もそうだろうけど、ぼくはいい建築をみていればお腹いっぱい、飯も忘れる。その建築はぼくにとっては自律的な建築による空間体験ということも一つであるが、もう一歩突っ込んで周辺環境から取り入れられた建築環境の構築である。その建築的方法論は持続的に考えていくとして、それができる状況を今のうちに、20年くらいかけてつくっていかなければならない。

都市工学の一環として都市をどうするか、と言う問題を考えなければならない状況ではある。しかし一方で都市の中のプレイヤーという側面もあるわけで、システムを把握、分析して身体スケールでの「建築」が到達点でもある。それを環境との相互存在としてどうつなげられるか、考えていきたい。

磯崎新「今の都市は全部それ(金融)になってしまっている。シミュラークルを手がかりにしてどうやったら「都市」というものを組み立てられるかということが問題になってきたわけです。」

オートポイエシス、もしくは複雑系から都市を考えること、ひいては1960年代に建築家達がこぞって提案した都市の視点ではすでに都市は考える事はできない。ここはもう少し思考を巡らす必要があるが、参加型といっても結局視点は地上にある。その把握をすることはまだ自分の仕事ではないと思っている。将来的にはしたいが、そこにいくにはプレイヤーとしての経験がこれからの時代は必要になるだろう。

藤原徹平氏「有機的に素晴らしい速度で設計アイデアを現実社会にぶつけていき、いろんな角度にいろんな波紋をつくりながらアイデアを練り上げていくと、都市計画という上位構造にも割りと簡単にアクセスができている実感があります。」

この藤原氏の発言はボトムアップ的でかつ一単体が環境にアクセスして変化させる術を物語っているが、人が求めるところに多くのエネルギーを集約させるコンペティションという形態だからこその術である。ここに建築家が真っ向から挑むのか、それとも不動産、行政へと介入し、必要な場所に必要な建築を建てる事をしていくべきなのかはこれから慎重に吟味していかなければならない。