・建築と不動産の理想論

昨日のぼやきに引き続き、自分の振り返りをしてみる。
建築卒でしかも院生でもなぜ今営業をしているかはよく問われる質問である。まぁ動き方が営業的なだけであって実際はコンサルタントなんだが。建築内部からすると歴史研から不動産などと、真逆ではないかということもしばしば。ということで今回は昨日のぼやきと少しリンクさせながら、今の現状を語りたい。
ぼくは学部では設計ばかり、院では歴史研に所属しながら2社の編集部への出入りを繰り返していた。卒業設計は沖ノ鳥島に地球環境総合研究所をつくり、修士論文では銀座に現存する近代主義建築の残存理由を検証した。ぼくは学部のころ、ある疑問を抱いていた。建築家という人たちが考えている「建築」と、実際に建っている「建築」の乖離である。
メタボリズムグループ、アンビルト建築など都市建築に傾倒していたぼくは、住宅など顧みず、大文字の建築ばかりを追いかけていた。GA DOCUMENTのプロジェクトを見る度に建築の大きさや可能性を考えていたようにも思う。そのころ課題のたびに参照していたのが他でもないレム・コールハースであり、都市から導きだされる解答というもの、プログラムと直結した建築に魅了されていた。「雑誌上でみるだけ」ではそこには建築をつくる方法しかなく、リアリティというものは一切欠如していたようにも見えていたと思う。その見方をして街をみるとそれらは意志も何もないようにも見え、ぼくがずっと避けていた「現実」しかなかった。「住む」ということから乖離して、建築を表現としてしか見ていなかった自分は、現実のつくられ方に興味を持ち始めた。しかし、コンテクストを追えば追うほど、社会を直視すればするほど、建築家の存在意義はなくなりそうになる。誤解を怖れずに言えば、「芸術家」としての側面はぼくにとって必須の建築家像だった。
そこで思い切ってやったのが卒業設計「TOCHKA」である。都市というコンテクストから絶縁し、日本の領海を保持するシンプルな意味によって存在する。大地の連続すら否定するこの建築は絶対的に非日常の建築となる。ここには世界中の地球環境の研究者が集まり、研究を発表する場所であるとともに、一般的な建築計画などほとんど無視の傾斜のついた床ばかりに地球環境の現状が展示される。地球を相対化する場所をつくろうとした。


この計画でぼくは、受賞などの社会的栄誉を無視したことは重々承知している。社会から評価されようとしてつくったものでもないし、明らかに自分のためにつくったものだ。しかしぼくはその反面に、社会を直視せずに建築をつくることに終止符を打った。
その後大学院に進み、実測調査から建築家へのインタビューなど、建築と社会を直視する作業に入った。建築家の可能性を広げるためにメディアの体験もした。別にぼくは歴史を過去のことだけをするということとは解釈しておらず、今を生きながら過去が未来をどうつくるか考えるものだと思っている。
その集大成として執筆した修士論文が「近代主義建築の残存過程に関する研究」である。建築至上主義でつくり続けることのできた60年代前後の近代主義建築が都市の中でどのように現在まで残存してきたのか。それは建築家の「作家性」というものを捉え直すきっかけにもなったと思う。テリトリーを日本一地価の高い銀座に限定し、現在残存する読売会館、三愛ドリームセンター、ソニービルの建築を保存の論理の検証によって残存理由を偶然以外へと補完する。そこには、建築自体のコンセプトと、対象建築家の「作家性」と呼ばれる不確かなものの中に、はっきりと「社会性」を捉える事ができた。高度経済成長期、日本が大きく激変している最中に、「消費文化がもたらす公共性」を認識し、経済というものをはっきりと捉え、最終的には現在をみつめる視点こそがその作家性であった。
「作家性」というものが絶対的権力に担保されることが難しくなった現代において、何を担保に建築をつくるか。そして、建築の存在意義とは何なのか。日本経済が爆発した高度経済成長期、バブル崩壊、そしてリーマンショック。そのメルクマールを乗り越えて建築が残存することの意味は単に所有者の意志だけではなかった。村野藤吾、林昌二、芦原義信といった経済、そして社会を直視し、これらの建築を残した建築家は、まさにぼくのロールモデルである。
ぼくはその社会への視線の補助線として不動産業界を選んでいる。
現在、建築と不動産は乖離した状態にある。不動産デベロッパーが土地を確保し、そこに建築の人が建築を建てる。もちろん、建築の人はコンテクストなどを加味した建築をつくるのであろうが、「そこに建てない」という選択肢はない。もちろん、建てるべきところもあるだろう。しかし都市の中でのバランスは建築家には取れず、人の流れは変化はあれそこにあって、誰かが決めたところにたてなければならない。
しかし、本来の建築家の職能というのは、都市の中での建築の存在意義を決めることにあるのだと思う。建ててくださいで建てるのではなく、建てるべきところに建てる。それは現在で言うと不動産との融合でしかなし得ない。それがぼくが不動産に来た理由の一つである。