「51番目のハローワーク」 パネラー:五十嵐太郎、山中新太郎、橋本憲一郎、新堀学、田村誠邦 @文京区求道会館
五十嵐氏、橋本氏、山中氏それぞれの「職能」に関する講演のあと、アークブレイン代表の田村氏、新堀氏を交えディスカッション。
五十嵐氏の企画持ち込みにより出版された「建築学生のハローワーク」。この書籍は氏が就職担当をしたこと、大学院の講義で似た案が学生から上がったことがきっかけになったという。東大、東北大の卒業者名簿から卒業生の肩書きをピックアップして中身の職業を決めた。
氏自身が執筆した建築評論家の項では実際に400字であればいくら、それだけで食うというのは非常に難しいということが書かれている。ここで五十嵐氏はロマンティックなことをかいても仕方がないので書いたという。さらに五十嵐太郎というロールモデルが存在しているように学生からは思われているが、なろうとしてなったわけではない、と。来た仕事を断らない姿勢が大事だと語る。自分から選ぶだけでは仕事の可能性は広がらず、他人から「この人はできるのではないか」という自分では気づかない見込みを見つけてもらうのも社会学や美術の分野でも執筆活動、キュレーション、編集などを行っているいまの姿をつくっている。そしてその土壌をつくるなかで自分の領域を自分でつくるという姿勢ももっている。
「51番目のハローワーク」というタイトルを受けて東大助手の橋本氏は「まちでシノぐ」というテーマを提示。このシンポジウムを主催しているNPO団体での活動と東大で行っている集落調査を紹介しつつこれからの建築を学んだ者の職能を模索する。
リトルワールドにある模型と実際に集落にある「活気」が作り出す情景の違いを見て、モノの組み立て方に即して考えるだけではなく、大雑把にいうとソフトの部分の構築も必要であると感じたという。さらに、NPOで下田のまちづくり参加は、私/中間/企業、官という位置のどこかを選択して新しく確立する可能性を模索するきっかけになったのだろうか。
最後に、ジンメルの大都市と精神生活から「ただ理解すること」の重要性を説く。ただ単に目の前のことに貪欲に反応するのでなくただ起きていることを理解し、受け止める。その中で自分に何ができるかを考えること。それが51番目の新しい職能につながるのではないだろうか。
3番目の山中氏は著作のなかから抜粋する形で講演を行った。といっても講演に使用した寿町「ヨコハマ・ホステル・ヴィレッジ」、群馬の「下田 再創生塾」、中崎町「空き家再生パフォーマンス」、下田のノコギリ屋根、柏の葉のUDCKのそれぞれのまちづくりの実践は、単なる市民とのふれあいだけでなく、それ自体で収益を得る事のできる可能性を示唆するものである。実際に山中氏が参画した下田のプロジェクトの写真では、住民の人々の真剣な態度が表れており、単に趣味ではない「まちづくり」を実践する職能が求められていることが講演を通してよくわかった。
アークブレイン代表の田村氏などを交えて、全体の講演内容を踏まえたのパネルディスカッションでは、「職能のリノベーション」ということがテーマに上がった。単に設計をしてお金をもらうだけでなく、使い方などを提案、実践できるところまですることによってロイヤリティ収入を得る必要性だ。使用者を匿名的に想定して設計するのでなく、実際に使う人とともに場所、まちをつくっていく。橋本氏の講演にもあったように、食住が行われて、人々の暮らしとセットになっていることも視野にいれる。
しかし、ここで問題になるのは、「誰が」このような活動を続けていけるのか、ということだ。今日参加した人は建築批評家や建築家という本来の職を持ち、それに足す形、または付属する形でこれらの仕事を請け負う。つまり、現在の段階では教授をしながら建築家をするようにある程度「余裕」がなければ形のない価値をつくりだすだけで事業化はしにくい。職能として確立するには至っていない。私はそれをジャーナリストという生活体系と重ねてジャーナリストという職を実際に経験してみたりもしたが、やはりそこでは職能として「伝える」ことが第一である。固有解を普遍解にすることによって、大きな流れに惑わされず新しい「気づき」を読者に与えることは、まちづくりというまちの活性化などが目的になっていることとは別だ。
とはいえ、社会的な地位という意味での職業というのはこういった建築関係の方々と話しているとあまり重要ではないな、と思う。おそらくこれはぼくが学生であって社会的に守らねばならないものがないからなのだろうが、人生の一瞬一瞬を楽しめることこそが生きる、ということではないだろうか。社会的地位の成立可能性を東京にきてから模索はしてきたけれど、やはり何事もやってみなければわからないし、やっているときだけ生きていると実感できる気もする。世界中で起こっている小さな流れに入り込み、動きのなかで活動していく。それは中立を保ちながら伝えることを第一とするジャーナリストにはできないことだ。しかし、おもしろいことがあればすぐに入り込める社会的、意識的な身軽さをもちつつ生きていくというのを確立していかないといけないなと思う。

建築学生のハローワーク (建築文化シナジー)

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「まちづくり」のアイデアボックス

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