玉川まちづくりハウスの定例運営委員会
新事業や事業提案、地域講座などの企画に加えて、協議会などの報告がなされる。
NPOの地域的な活動は地元の学校、財団などから依頼される仕事も多いらしい。行政と市民の間に入る中和剤のような役割か。市民の立場にたってそれを取りまとめていくような役割が望まれるが、市民との間には組織だという事実がある限り意志の疎通が難しいのはいうまでもない。
議論のなかで「地域エゴ」という言葉が挙っていたが「地域」という枠組の社会とプライバシーというのは融和が難しいことを象徴していたように思う。景観のような視覚的なものから相続など土地の問題など。あくまで町のなかの土地として、建築を建てたいと思う人は町に対して「説き伏せる」態度というのも未だあるようだ。
今日はこの地域に引っ越してきて数年経つ人が初めて参加されていた。その人の発言から「ただ住環境がいいという理由だけで引っ越してきた人」にどう理解されるかが問題ではないかという流れに。事前に調べてから引っ越せばいいというのも短絡的で、土地を買うというのはいい土地であればあるほど難しい。NPOや地域住民の存在など、物理的な「環境」くらいにしか目を通せない。また、それがいいからいい土地として判断されているのであって、さらにだからこそ早く決めてしまわなければならないという脅迫観念もある。そういう人たちが景観を保つなどの建築協定を推進する団体のことをどう理解するか、そこが問題の焦点になる。結局、わけのわからないまま住み続けるのではなく、意見が違おうが理解して共生する、それを繋ぐ役割として機能しそうだ。土地の評価基準として、NPOなどの存在も認知され、「住み易さ」の指標として民意を集約するような期待感がある。
また、園田邸の件で、地域資源としての建築についての方向性も少々議論された。今ある選択肢としては行政に買い上げてもらい地域に開く施設として生かすのか、江戸東京たてもの館のようなところに移築して建築として吉村順三の遺産として後世に伝えるべきか、だ。私は前者の方が希望があるのではと直感的には思っていたが、区に買ってもらうとしたら選挙で区長が変わるなどして区の意志も変わりかねない。山本理顕事務所の裁判のように。結局、邑楽町の裁判は和解ということで決着がついたようだが、区長の交代により凍結されたまま別手続きとして新庁舎建設を進めて、従前のコンペ参加などの行為に対しての裁判だった。透明性や住民参加型という方法論をとっていながらも、それが政治的には無意味になっていたという区の民意に対する背信行為であるとも受け止められかねない。デザインや設計、建築の能力というのが実例で示されたともいえるのに、町の無関心さには驚く。
結局、地域資源として建築に公共性は与えられず、別要件として社会に存在していることにもなる。どこにその齟齬があるのか、日本人は建築などには興味がない、輪廻という根底の文化がある、金が全て、というだけではこれからの未来、済まされない問題であると思う。