富岡製糸場の建物

レクチャー2 「富岡製糸場の建物」/文化庁文化財部 文部科学技官 西岡聡氏
2回目のレクチャーは、西岡氏による現場のレクチャー。
東置繭場から始まり、繭扱い場や西置繭場、鉄水溜、繰糸場など蚕の状態から生糸に仕上げるまでの工程と対応した全システムを巡る。



東置繭所 明治5年の製糸場建設当初から存在する木骨レンガ造の建築である。木骨レンガ造は、神戸の15番館などがあり、この元になった横須賀製鉄所も木骨レンガ造であったが現在は存在しない。
明治維新直後であり、レンガ焼成を始め、アーチ構造など当時は試行錯誤の連続であった。建築の規模は釜の単位が大きさを決める。明治5年の最初期は300人の従業員に対して300台の器械であったのに対し、最終的には自動繰糸機の導入により1/1200の規模で同一の生産性となった。



フランス積みと呼ばれるレンガの積み方をされている。しかし、ところどころにずれがみえたり、アーチが同心円になっていなかったりと、なにもかもが初めてであったことがわかる。また、レンガの色が明るい色になっているのは、当時レンガの経験のなかったため、瓦職人がレンガを焼いており、焼成が甘いからである。



西置繭場 東置繭場と同様、繭を保存しておく施設。写真右側は近年の整備によるため、レンガの明るさに違いがある。






鉄水溜/エネルギー中枢 敷地のほぼ中心に存在するボイラーなどエネルギーを全体に供給するための場所に軟水をつくるための水溜がある。国産の中では最古の明治8年の鉄構造物である。フランス製の鉄鉱石で横浜の造船所でつくられた。5mmの鉄板で構成され、繭を温めるための軟水をつくる。




蒸気釜所
明治5年建設。煮繭機、選繭設備が搭載されている。



繰糸所 当初から一貫して繭から糸を繰り出す繰糸を行う施設として機能。糸を繰る行為は手元が明るくてはならなく、日が傾いてからも生産性を落とさないように内部は当時から一般的な工場とは違い、大きな窓と高い天井、白い塗装によって明るさが保たれている。切妻屋根の上部に見えるのは、器械から出る蒸気を逃すためにある。





その他、寄宿舎、首長館、診療所、監査人館。