近代の産業遺産の保存と活用

レクチャー3 「近代の産業遺産の保存と活用」/筑波大学大学院 教授 斎藤英俊氏
世界遺産という概念に「産業遺産」という項目が付加されたきっかけは、世界遺産委員会会議において遺産がヨーロッパに重点が置かれ、バランスを欠くことや、ヴァナキュラーの視点、生きた伝統への配慮が少ないことがあがったことだった。これにより、産業遺産を含むダイナミックな性格付け、人間と土地の在り方を示す事例がユネスコ世界遺産の範疇に捉えられていったと言える。
この講義では、実際に産業遺産として再生され、活用されている事例をご教授いただいた。
一番目は、知る人も多いであろうルール工業地帯のIBAエムシャーパークである。産業革命により反映した反面、土地が汚染され、60年代には衰退の時期にはいる。
施設は放置され、ドイツ全体で15%、ルール地方では30%という高い失業率
土地と自然のエコロジカルな再生を軸に、総事業120件、事業費50億ドイツマルクという大事業に発展している。

ワルトロップの炭坑ビジネスパークは、「労働と産業」という意味で代表例と言える事例だ。ここでは単純な解決法でもある「博物館化」がなされるのであるが、それがなされる直前まで働いていた職人を学芸員として雇い、実演、教育する立場の人間として経営を再開したのである。また、元職員の聞き取りを録音したテープを流すことによって、よりリアリティのある博物館として機能しているという。

1984年に機能的には廃墟とかしたベルリンの旧変電所は、現在Meta Designという会社の社屋として利用されている。ところどころの機械類は取り除かれているとはいえ、断面はオフィスとして今の時代では考えられない構成である。フラットで広いフロアがあるわけでもなく、変電所という機能に対応した階高も複雑な建築。しかし、大規模な改編もせず現在的な機能を満たしているのには、歴史を受け入れ、知恵を出した成果であるといえる。コントロールルームだった部屋には、当時使用されていた機械がそのまま残され、会議室の意匠として利用されている。そして屋根のなかった中庭にガラスの屋根をかけることによって中庭に面した窓を取り替えることなく使用することによって現代と当時のデザインがうまく融合した建築になっているという。

ノーマン・フォスター設計のドイツ連邦議会も紹介された。
1933年に放火によって中心部を焼失、第二次世界大戦を乗り越え、1999年に改修されたこの建物は、ドイツ史の生きた歴史、市民に開かれた議会、省エネルギーを根幹のコンセプトとしてリノベーションされる。歴代議員のネームボックス(ヒットラーが議員だった頃のものも!)が意匠として残されたり、ソビエト兵侵略時の落書きなど歴史を消すのではなくそのまま残している。
象徴的なガラスのドームは内部は逆円錐になっており、集光の効果をもつ。昼間は照明がいらないほど明るく、ドームにのって市民が議会場をみることもできる。ここで特徴的なのは、過去の意匠に固執することなく新しくつけたものとして明確に示していることである。
また、屋上に設置されたソーラーパネルだけでなく、バイオマスコージェネなどサスティナブルなエコシステムがふんだんに利用されている。この改修によってCO2の排出量は建物全体で94%削減されたという。さらにこの建物から他に供給できるシステムも兼ね備えており、消費するだけでなく自然のエネルギーを人工的なエネルギーに変換して供給する建築となっている。

そして最後に、日本と対照的な考え方で改修されている建物を紹介。それが世界遺産にも選定されているエッセンの炭坑である。ここは産業施設には珍しく、建築家のデザインであり、「世界で最も美しい炭坑」として認めれている。労働と産業建築博物館、芸術デザインセンターというコンセプトで「デザイン」を主軸に置くことを明確にしておき、そこに行けば何があるかを明示。博物館としての機能は「全ての汚れと埃を残す」という徹底ぶりである。巨大ボイラーを半分に切ってスペース化、壁を緑や赤で塗るという行為まである。遺産を塗るという発想自体日本ではあまり考えられない手法であるが、明確に違うのは「壊す必要のないものを必要でない限り壊さない」ということである。Meta Designの事例と同様に案内所には今壊す必要のない変電用機械を意匠として残しているのである。つまり、全てを最初に決めてしまうのではなく、いま必要なものだけを考え、無理に使おうとしない。景観として残すということを決めた大きなガスタンクなどのインフラ施設は、ラーニングコストの方が産業廃棄物として処理するよりもコストが低いことに決定されたが、当時は何もなかったところに、いまではアスレチックのある公園に化している。このような場所によくある分厚く、重厚なコンクリートの壁はクライミングの、ガスタンクは水が張られスキューバの練習場になっているのである。この機能は運営者の側から提案されたのではなく、来客していた者からの依頼でやっているというところが非常に興味深い。さらに、展示棟として利用されているガスタンクは気候がいい季節しか利用できないため、使用できないときは広告塔として利用されている。
これらの近代化遺産が成功例として挙げられるのはそこにあったものがいいというだけの理由ではない。行政と民間の協力やオープンで寛容な経営のスタイルから来る柔軟な発想が根幹にある。また、中に設置されているレストランなども「近代化遺産の中にある」ということに頼らず、一流のものを提供するよう心がけているという。