文章,論文というものに毎日顔を合わす.情報化の進んだ現代なら誰でもそうであろうが,単なるネットニュースや箇条書きと文章というものは一線を画す.
以前,言葉について何回か文章を書いたが,文脈あっての単語であり,そこに確定した意味が存在するようなことを書いたと思う.それをさらに拡張すると文章と論,ということになるのだと思う.つまり,文章1つひとつは単なる事実であり,これを並べるだけのものが箇条書きというもの.それらを接合することが論を構成することであり,物語をつくることだ.事実と事実をどう繋ぎ,レールを築いていくか,それが問題である.もちろん,文章にも人の個性などは反映される.しかし,これはファッションのようなもので,奇抜なジャケットを着こなすにはそれなりのものを揃えなければならないし,その組み合わせにも個性がでる.その服自体は既成事実のようなもので,その接続性によって主張へと変わる.
と,雑に書いてみても,これは生活や仕事にもあることなのであって,いわばふつうのこと.「何をするか」という結節点さえ決めれば後はやるだけ,ということがかなり多い.コンテンツとして存在してしまえば,後はスピードと事実そのものの質の問題である.
これは書くときと同時に,文章を読むときもだ.つまり,接続を無意識に読むとそれは単に事実を知るだけのお勉強であって,そこに意見を書いたり読み取ったりという行為は皆無になる.これは逆に言うと極端に客観的なものというのは箇条書きであってしかもそこには網羅しなければならないという条件さえもつく.