・LRAJ議論編レポート

Live Roundabout Journal 「メタボリズム2.0」@INAX:Ginza 
出演:藤村龍至 濱野智史 酒井康史 池上高志 磯崎新 連勇太朗 岡端喜 李明喜 藤本壮介 東浩紀 倉方俊輔 南後由和 黒瀬陽平 橋本純

全てのプレゼが終了し、次に議論に移る。
議論に入る前に第一部の振り返りを兼ねたライブ映像を観覧。映像は横浜国大のY-PACが担当したという。かなりスリリングでクオリティの高い映像。

その後,後半討議導入として濱野氏が全体のイントロを振り返る。
メタボリズムの検討、考察では、モノ的成長を人工的に行い、歴史の新陳代謝を促進させることをはじめ、プロセスプランニングの「切断」からメタボリズムへ。しかし国家の論理と同じロジックになっていて、批判的モチーフがなかったと確認。
一方で情報のメタボリズムがあるとすれば、批判的メタボリズムをどうやっていけるか、主体がないと議論はできないであろうという意味で今までは議論してきた。そしてこれからどうするか、である。
「見えない都市」/磯崎氏は、集合知手的なものにならない時代の都市である。しかし情報系のツールによって情報を蓄積、過剰に都市が見えていく。見える都市が拡大する時に現代の建築家が都市なりを提案していくか。都市とウェブの対比から何が問題なのかを討議する必要があると提示した。


討議中も編集画面が映し出され,同時多発的な状況が会場内に作りだされる。


次に南後氏からもキーワードが提示される。
まず、「時間」。メタボリズムは右肩上がりの成長の中での官僚などとの親和性の高さであり、0から1に時間が変わる。そこの間に関係性があって、それを微分する事が可能になっていると説明。アーキグラム、セドリック・プライスは技術を使用して環境を制御するコンセプトであり、技術=環境としてインタラクティブな関係があった。そこではモノが動かなければならなかったが,モノと人の関係ではなく情報と空間の関係を三角形で考える可能性があるという。
次に「成長」。メタボリズムは単線であり、負のフィードバックになく、淘汰のシステムがなかった。
社会工学」というキーワードでは、黒川の社会工学研究所、東京計画1960などでは量的なリサーチをしていた。つまり、データ解析,配置が60年代。いまでもMVRDVなどがやってるが、その違い。すなわち、シミュレーション、解析をしていた。都市を設定した上でシミュレーション。しかし現在はピンポンなどの問題で境界をもうけずに最初からコンテクストではなく場だけを用意して自己組織化をしていく。
また、「グーグル」は無意識を可視化する、というキーワードを挙げる。

東氏はグーグルはそもそもベンヤミンのいう複製機械であって、 工学的無意識であるという。映画で無意識が見えるようになったようにテクノロジーはそういうことを可能にする性質を本来的に持っている。リアルタイムで読み取れる。技術は映画も録音もそう。いろいろ可視化される小さな気づきがみえるようになる。そのなかにグーグルがはいっている。これは一世紀前から起こっていた。
それと設計はつながらない。結局自分のデザインをどう正当化するかになっている。デザインも自分の盲点から無意識にでてくることを可視化するわけでもなく、無意識に自動生成することはない。
その前提の上でこの意識化されたものをデザイナーをどう活かすかということを問題提起した。

藤村氏はインプット/アウトプットというキーワードに触れる。松川昌平氏はすべてコンピュータにして淘汰可能と主張し、正当性に置き換えるものであり、どう納得するかしかないとする。ログを残し可視化しているからクライアントは納得する。人びとの意識を可視化するという問題どう活かしていくか、前半のプロセスと後半のプロセスをつなげるにはどうすればいいかを提起。

磯崎氏は中銀カプセルタワーニューヨークタイムズにて破壊されると書かれたという。メタボリズムの具体化である「モニュメント」であり、「モニュメント」を商業論理で壊すのはどうかという記事であった。
磯崎氏は記者からインタビューされ、当時黒川紀章たちに反対していたのではないかと聞かれたという。しかし実は磯崎氏は批判的ではなく個人的にも家族的にも付き合っていたのは黒川氏であったという。
日本を覆う建築の中で約90%の建築家は両方に関わらないといけない。残り数%の公共施設を磯崎はやっていた。黒川は大きなスケールでやってきた。建築家として対立していたのではなく「棲み分け」をしていたというのである。
そしてどう中銀を評価するのか。新陳代謝は都市の住居とかをコモディティ、商品としての論理を組み立てたのがメタボリズムの基本的な姿勢であって、内側から押し進めていくテクノロジーを期待していたのがメタボリズムである。しかし自分はアーティストの仲間が多かったので商品はつくりたくないといったまでで、テクノロジーのレベルはもっているが、商品に関しては違うという。
あれは60年代の思想が一つのモニュメントとして都市にでてきたことが50年経ってはっきりしてきた。その前の時代がモニュメントになれば記憶になって意味がかわっていく。家賃が取れない、使い物にならないというのはどうでもよくて、文化的施設になって売り出したときの意味が変わっている。
という説明をインタビューでしたのだという。一般的に建築をロジックで、不動産の売り買いの論理で、建築家はそのよきに売り物にならなかった何かを頼らなければならない、そのロジックがみえるようになっているいい例である。つまり、メタボリズムは歴史的概念であって、テクノロジーのメソッドとして永久に残るものではない。一つのイデオロギーであり具体的建築的デザインとして採用をして、この時代の、マークのついたコンセプトである。前衛は日本の60年代後半に消滅した。歴史的概念として議論することが間違いだとした。
つまり氏は「メタボリズム」を出してきた事自体が気になっているのだという。

ここで東氏、そもそもモノをつくるとはなにか、と。モノを作りたい人が集合知でモノをつくるのは矛盾している。建築も集合知でつくれる。社会はそうつくられている。集団でつくる/個人でつくる=商品なのかアートなのか、という問いは通俗と前衛という価値判断があるのでするべきではないよいう。
この世には集団であるのと個人でつくられるものがある。集団的無意識を反映してつくることもできるし、個体でつくることもできる。いい悪いはない。ベストセラーをつくりだせる人はずっと出し続けられるのである。
そこで藤村氏は、アトリエ派とゼネコン派の対立ではなく、ある計画のビジョンというよりも集合知的なおもしろさが都市にはある。濃いものを取り出すことはできないだろうかということだと説明。

対して東氏は問題は集合的クリエイティビティが組織されたから建築に限らず個人でつくることに意味がないのではないかと人びとが思っている事が問題なのではないかと問う。クリエイティビティが組織されるのは危機的に聞こえる。今までは個人というフィルターをとおさなければならなかったものがそうでなくてもよくなった。そう言った意味での建築家はいらなくなるのかもしれない。

黒瀬氏はランドマーク、つまり文化の無意識としてランドマークが立ち上がったのだという。ベストセラーの作家は欲望と相互作用であり、今はうまく像を結ばない、と美術側からの視点としても提示。
都市は建築にとって、藤村氏にとっては最大の与件であって、それを都市像までおとさないと建築家は向かい合えない。藤村氏はプロセスがあればよいということになる。アートにとって与件とはないか。我々の環境とは何か。浅田彰が環境技術という言葉を作ったが、コンテクストとして可視化するのにはどうすればいいか議論するべきであるとする。

藤村氏は集団とこの違いには、Bマイナス的都市をつくった人たちから次の人たちが生まれてくることがあるとする。

ここで磯崎氏。中国で抗議されたことがある。磯崎は中国の建築家はフォトショップだけでデザインしている。ザハよりもザハっぽい。超高層の課題でBマイナスをつけたものがあった それが現在、中国で建っている。それを言うと「バカにされた」といわれたが、氏はそうではないという。数時間でここまでつくってしまった、デジャブがこれだけのスケールで建ってしまったのであり、ほとんどヴァーチャルな都市空間で、ニューヨークでカーテンウォールの構想が生まれた時のように思ったという。ただそれと同様にただ驚いただけであって、いい悪いではないという。
つまり、「逆転」が覆っている。ポップアートが現代に評価を得ているように,Bマイナスもそうなるといって逃げたが,許してくれなかった。こういう街ができちゃったとおもってしまったほうがいいという。

藤村氏はBマイナスがAになるという話と東氏の技術的洗練によってあらかじめAができるといったものではないとした。

対して磯崎氏はBマイナスは先生がつけた点数であって、当時の標準として、コピーでしかないという評価。それができるプロセスはフォトショップであり、中国の超高層は全部そう。レムが一番いいと思った。推してできあがると中国のブロガーはそれをパンツだといった。できあがったものはディテール,工法などはない。貼付けたエレベーションだった。つまり、AをつけたがBマイナスになった。燃えたあと、これはいい建築だと思った。すなわち、表層だけで出来上がりになってしまった。つまり、事実は事実で中国で注目されている話になる。

南後氏はここで「作る」に立ち返るならば,都市のビジョンを建てることが成り立つのか。あくまで建築を通して考えていけばいいのではないか、という。

濱野氏は集団/個人の問題系で、個人名でつくったものは批判できるが、東京を批判できない。別のあり方を提起するときに社会的機能としても必要なのでは、という。自動生成してそれで良し、という話でもない。

藤村氏も、作家の作品性とは別に集合知での設計の中でも善し悪しがあると述べる。

東氏もそれはあるとするが、システムを設計する事になるはずで,形態の話にはならないとする。もし形態の話をするなら、それは作家性の話である。匿名で建築はつくれる。そんなときにコミュニケーションを設計できる人がいい設計者である。

藤村氏はここで、形態の話は別にいい、とする。

磯崎氏がジェネレーションは50年ずれている、そのときの建築家像はどちらかというと組織がいない状態であって個人はアーティストの一部として活動していたという。
氏は悪い影響を与えたと思っているという。ビエンナーレなどで建築家として出て自分はアーティストだと思ってしまう。模型とインスタレーションをアートだと言ってしまう。それで建築雑誌に載って自分はいい建築家だとおもってしまうのがよくない。中国ではコピーでいいじゃないかと。あの国ではわかならい。
そして都市の回帰とは数層のレイヤーが必要とする。原広司氏が「都市を住宅に埋蔵する」と言った瞬間に解けているのである。都市からの撤退は批判された。都市との対峙が正義であって、都市と建築の間の関係が抜けている。メタボリズムレガシーシステムだ、という。

黒瀬氏はシステムなのか、形態なのか、と問う。形態は美。部分的にシステムに置き換えて批判可能にする。それがここでの問題。わかる天才はデータベースをもっている。淘汰の可能性をもっていた。アレゴリーとシンボル、キャラクター、体系化された教養造形言語として使えるものがキャラなのではないかという。

南後氏は美と形態の問題において、60年代の丹下健三率いるリサーチによって法が変わったことを挙げ、マンハッタングリッドを挙げる。法制度ではなく、リアル、ヴァーチャル、インターフェイスをどうつくっていくか、という提起をする。

ここでディスカッション時の登壇者ではない池上氏から意見が上がる。メタボリズムというのは本当に理解しているのか、きちんと考えないと行けない、と。

対して藤村氏は入力と出力、メタボリズムの時代にもっていた設計と都市の関係を読み直すと何ができるか、と返答。建築と都市の関係は切れていた。しかし、新しい技術の立ち上げから何がみえるか。可視化された条件に対して、淘汰させてアウトプットする後半の統合プロセスにはロジックがない。情報で入力が豊かになっているという仮説がある、と。

しかしここでなぜかピンポンに無茶ぶり。李氏は建築ができることとコミュニケーションのレベルは分けなければならないとする。そのプロセスが可視かされているのが現状。ピンポンの当初ではデザインにどう活かすかということにしていたが、多摩美でそれがファンタジーである事がわかった。建築が経験レベルは不特定多数。建築は経験のレベルで立ち上がっていく。設計の部分ではわずかな部分。しかし何もないわけではない。設計の範囲とそうではない部分のギャップを埋めるためにファンタジーをとりいれてきたのではないか。これこれで建築を繕う、ではなく、つくられていくなかでツールとしてピンポンを投入。ピンポンではコミュニケーションとして捉えている、と。

東氏がメタボリズムは未来の提案、生活様式の提案などをしていた。そこでグーグルなどが入ってきて、それからどうなんだ、と。

磯崎氏も藤村氏に対して建築とは何か建築物なのか、建築なのか。と問う。

さらに東氏がなぜメタボリズム2.0を選ばなければならないのか、と質問。外側に向かって何か言うのであれば、ビジョンがないといけない。新しい提案としての意味があったはずで、藤村さんがどういうビジョンがあるかを知りたい。

藤村氏は改革でやりたいことはなにか、コンテクスチュアルなものをつくりたい、と返答。人びとの欲望をよみこんだ建築をつくりたい、と。

池上氏は現世の無意識を満たすことに意味があるとする。先を考える。それがメタボリズムがあった。むしろ今の人がいやがることをやるとかならおもしろい、と。そのときにいいものは百年後にいいとは限らない,建築はグーグルでハッピーになっているのか、そうでないのか、痛烈に問う。

藤村氏は今と未来のコンテクストに対応できる可変性はデザインできるのではないか、と返答。

ここで議論が少々錯綜するが、メタボリズム2.0は工学主義であることが明確にされ、濱野氏のプレゼの浸透性が確保できなかったことが藤村氏によって原因とされた。磯崎氏は「自己批判なんだね」と。

その後磯崎氏が発言。社会工学にひっかかると。高度経済成長期に東大は都市工学を、東工大社会工学をとった。都市工学は都市だからわかってたが、社会工学はよくわからないがおもしろそうだったという。また、未来学会があった。これが社会工学の先祖みたいなもので、うさんくさい。未来学は個人的に脱落感があるという。60年代に東工大の路線を正当化するものではないのか。自己批判すべきだ、という。

東氏が社会工学に批判的なのは自明。しかし磯崎氏も未来学的なことをやっている。
都市についても未来についても何も語らない、ということになり、未来についての語りが危険であるとされるが、それを復活させたいという欲もあると語る。

磯崎氏が職業柄そうせざるを得ない。建築を選んだ時点での宿命であるとする。それに対して都市の問題を考えていくと、荒っぽく、その中で未来学がでてきた。小松左京から未来学会にはいらないのはなぜだと言われたが、日本沈没みたいに未来学もなった。未来に対する投機をもっていた。プロジェクトというのは建築家の基本的な思想だった。プロジェクトというのは先延ばしすることである。

東氏はメディアプロデューサーとしての立場があったという。未来学は歯車の狂いの象徴、何か変な事になった。呪縛をどう解除するか。

磯崎氏が行き詰まった70年代半ばはロッキード,列島改造の失敗があり、政治的に沈没した。これが日本にとっての状況であり。アメリカ、ベトナム戦争ネオリベラリズムに日本は乗り遅れた。客観的な状況での日本の展開とのズレが今では印象的、事実がそうだった。メタボリズムというのを60年代の運動を積極的に評価しているのか,そうならばいずれそうなる。それならばこのままいくと同じになる。

東氏は濱野の議論は夢に結びつくとする。自己反省は必要。批判精神ばかり先走るのもどうかという。

藤村氏は磯崎の違和感を学習したいという。集合知への議論を今考えなければならないから。絵を描く事も必要だし,今何を考えなければならないのかを。

最後に、濱野氏が国家ではないので、集合知的なものに懸けるしかないと思っている、藤村氏が絵を描く事,絵を描く事の問題なのではないかと。磯崎氏が社会のロジックは工学で解けるようになってしまった、と議論は時間の問題もあり閉幕した。

質問では、磯崎氏の伊勢神宮の話があったが、濱野氏の情報環境は始源なのか起源なのか、という問い。答えは「始源」である。メタボリズムをつかってしまったことを反省しなければならないとした。

批判する立場の藤村氏と周囲の人が絵を描き、つくればよい。批判とつくる、二つのロールが必要、とシステム論的な意見が出る。

次の質問は建築はどういう役割か、というもの。
磯崎氏はつくるのは建築家だが、社会的に意味のあるものとしては、別の評価する軸が必要。二重構造であって、作るのは自分だが,それをどう評価するかはまた別の自分であるとした。

東氏がまとめに入る。
巫女と全て見えること、60年代建築かとは違う方法でイメージを提示する。表層で終わってしまった。
もう少しまともに生物的につくれる時代。(=メタボリズム2.0)よりビジョンを提示する枠組みで生命をつかいようがあるのではないか。(思想地図4 中川) 生命論的にまだつくれるのではないか?

池上氏はオートポイエシスの閉じたものを開放することで、p、おもしろくない集合知がおもしろくなるのではないかろする。
磯崎氏は生物の何をメタファにするのかはわからないが、多田氏という免疫学の先生の初期のアイデアがあったという。免疫細胞がアノニマスであったのにも関わらず器官の形にまでこれた。それは都市にどう応用可能か、と例を提示。

藤村氏は建築ではむしろ建築によって、建築に学ぶべきこと、構築性であるとか、メディアをもっと自己研究をするべきだとした。

橋本氏はメタボリズム社会工学と対になっているといい、JAの特集であるメタボリズムが生まれたとき、菊竹氏は木造建築を改築していたが、社会的評価を得られなかった。日本建築の流動性に、メタボリズムは変わらない部分を持ち込んだ。コンクリート以前のコアを考える事もできた。集合知を都市をつくることの基本にあり、それは今までもあった。背景としてうまれてきただけだ、とした。