・「建築ジャーナリズム無頼」

ある依頼のため、宮内嘉久の本を読んでいる。大学院に在籍しているころ、一年程は建築ジャーナリズムに関心があり、研究まがいのことを行っていて,さらに修士論文は60年代の建築で執筆したので、氏の生きた時代の把握は以前読んだ時よりもかなり理解しながら読む事ができている。
「建築ジャーナリズム無頼」は、私的な活動史である。依頼自体のものではないが、その活動史にはやはり、編集者として、活動家として、そしてジャーナリストとして生きた氏の人生を賭けた戦いが記載されている。実は、ぼくの中には「建築ジャーナリズム」たるものは誰が付けた名称で、本当に存在しているかにすら疑問があった。それをジャーナリズムの語源から拾うとメインには建築雑誌が挙げられるのだろうが、日本の新聞がそうであるように、広告収入という大きく、そして険しい壁が存在する。そこに、資本主義経済化にありメディアという媒体である以上、ジャーナリストという独立した存在で、かつ経済の要請で建てられる「建物」を批評するという行為すらも掌握されているのだろうということも薄々と感じていた。
しかし、氏の目指した「建築ジャーナリズムの確立」はもはや雑誌や書籍というメディアに頼るだけでない、「運動」であった。そこには、「建築家」という社会的職能の確立が氏の中心にあったようにも思える。空間に、人間としての豊かさを与えるために活動してきたのである。そして氏は当たり前に要請される売れる商品から撤退した。「個人誌」という形で綴じられた、氏の意志の具現化は、個人的身体を超えた運動となって歴史に刻まれている。

建築ジャーナリズム無頼 (中公文庫)

建築ジャーナリズム無頼 (中公文庫)